林間学校でピストルの使い方を教わる我が息子!

カリフォルニアではアメリカライフル協会をテロ組織と定めたらしい。全く同感である、実に末恐ろしい世界だ!なぜなら8歳の我が息子はこの夏休みのボーイスカウトの付属組織でライフルと銃の使い方を教わってしまった。今年も夏の間私自身仕事に集中したいために子供をボーイスカウトの関連組織に預けることにした。1週間で2万円ほどである。安いものだ。息子はボーイスカウトの施設に行き遊びやキャンプなどを学ぶのだが、私自身期待していないことまで学んでしまう。それが詳細な銃とライフルの使い方、おまけにBBガンを使った模擬射撃である。このようなことをしていれば自然と銃に興味が湧くだろうし、銃を使うこと自体に抵抗はなくなる。例えば日本で夏休みに自分の小学生の子供が短刀や日本刀の使い方を事前通知もなくどこかの施設で習うかということだ。そんなことをすれば保護者は怒るだろう。私がそこにいれば主催者に『教える理由を教えていただきたい』と言うかもしれないだろう。

しかしアメリカは違う、銃の使い方は『アドベンチャー』の一種だから。それで誰も文句は言わない、あくまでも夏の思い出のアドベンチャーだから。

やはりナショナルライフルアソシエーションオブアメリカ!アメリカライフル協会。この組織はキリスト教的に言えば『悪魔』がその基になっているとしか言いようがない。

パンフレットを開ければそこにはアジア系の息子と母親が銃を眺めている。第一のルール『銃は常に正しい方向に向けること』との意味だ。

ピストルとライフルの種類と特徴。自分でさえ欲しくなるほどだ。

BB弾での模擬では息子は好成績だったようだが、父としては別に嬉しくはない

このほかにも多くのパンフレットを頂き、内容充実。すべて本物の銃のことであり、空気銃などの子供じみたものではない。それが逆に怖いわ。。。

アメリカ万歳。。。

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日本の食費の高さに強い憤り

ここ数週間私は家族を連れて帰国していた。帰国の主な理由は毎年子供が地元の公立小学校に行くためである。家族の話は省くとして、とにかく日本にいる間は出費を抑えるためにも毎日外食はできない。近くの大型ドラッグストアーのような店でお買い得品やレトルトなどのインスタント、あるいは冷凍モノを買い漁り日々凌いできた。子供は当然お菓子も欲しがるもので何のためらいもなく菓子程度であれば安いだろうと思い購入していたのだが、会計時にレジの金額表示に毎回驚かされてその場では文句は言わないものの袋詰め時に何度もレシートを確認したものだ。なぜなら、

『思ったよりもはるかに食べ物の値段が高い!高すぎる!』

例えば、おふくろの施設に寄った際に母のおつかいとして近所のスーパーに行き、訳ありお買い得青森産リンゴ一袋と2種類のふりかけ(おとなのふりかけ等)、きゅうり、ちくわを買い1700円である、この時はさすがに筆者もレジの女性に確認して欲しいといったのだが、なんせ数少ない買い物であり間違う筈がない。一体日本はいつからこんなに食料品が高くなってしまったのだろうか?確かに消費税8%は重く家計にのしかかるものだが、500円で果物を買えば40円の税金が付く、5500円の食料を買えば440円の税金で440円あればお買い得菓子パンが5つは買えてこれだけあれば3日は食間の空腹に食べられるだろう。当然買うモノの数が増えれば消費税も増す、しかしどうやら税金以外の問題もあるようで実は食料品自体の価格がかなり高騰していると感じる、しかもよく見れば以前よりも内容量が減り値段は同じか少し高くなっているではないか!

残念ではあるがこのような価格の高騰は毎日そこで暮らし買い物をしていれば急に物価が上がったことに対し感じられない、それはまるで『海の潮の満ち引き』と似ていて確かに水位は上がっているものの実際には『今だ』という風に感じることが極めて難しい。最初から高価な質の良い食べ物にしろ、お買い得品にしても食料品の価格の高騰は社会に少なからずの影響を及ぼすものだ、例えば大げさに言えば生きる気力の低下。どうしても食費に金をかけることができなくすれば食べる量も減り夏なら夏バテもしやすくなり、極端な話し新鮮で良いものが食べられなくなると女性であれば更年期が早まったり、冷え性など限りない障害が増えるのは当たり前で、男性ならば仕事中の昼ご飯に安めのインスタント等が増えて長い目で見れば『精子』さえ減るだろう。普段から味の濃いインスタントフードや果糖ブドウ糖液等の入った甘く満腹感の出る飲み物を飲めば内臓に悪いのは医療関係であればだれでも知っていることであり、精神的にもキレやすくなってしまう。新鮮な野菜や果物には気分が落ち着く何か成分があるのは言うまでもない、よって食べ物で人間の気風も変わる。実際海外の国によってより多くの魚を食べる地域の人間は何か性格まで違うものだが、今回の滞在でも私は地元の魚さえ高くなかなか手が出せなかった。日本は少子化の問題や犯罪増加などの問題も多いが犯罪に走る動機に普段の食べ物が大きく関係していることに気づかなくてはならない、実はアメリカでここ数十年の犯罪が増える傾向は安価な加工食品の普及率と大きく関連している。安い加工食品をただ腹を満たすために大量に食べることほど体に悪いものはなく、成人であれば新鮮で良いものを少量食べればいいのだ。

私の記憶が確かならば昭和の時代は自動販売機の250mlのコーラ等缶入り飲料は70円だったのを覚えている。今では350mlで120円か130円だろうか。流通コストなどを含めたことを考えれば缶飲料は仕方ないとしても、せめて調理の必要な野菜や皮をむく必要がある果物などの生鮮類価格の価格設定は重要だろう。ブログでこの話をしたのは昨今の帰国時に感じる食べ物の値段の推移があまりにも急であり、サツマイモやネギにしてもブランド的な産地表示は結構であるが値段までもがそれなりに高いというのは納得できない。国が農家を支えるのは当然であるがこの日本の第一次産業に深く絡む『農協』という連中が実は頭が固く政治的な癒着もアリアリでヤバいのである。

物価に伴っての会社の給料が上がるわけでもなく、労働賃金が先進国として日本は安すぎであり実際毎月の給料自体増えていないのだ。これは日本国政府の舵取りの責任か多くの問題に気づかない平和な国民が悪いのか。時間給の最低賃金が10年前に比べてもまだ1000円以下というのはG7に顔を出す国としてはあまりにも貧しい、これほどまでに食費が高いにも関わらず。

DNA検査の続報

DNA検査会社から先日『アップロード』という期待もしていない更新情報の知らせがあった。しばらく前の記事でも話した通りに私は既に東アジア人というデーターが出ている。『東アジア人』要するに北はシベリア東部から南はインドネシア西はインド東部までが私のDNAの示す地域で『広すぎるがまあいいだろう』という具合で十分了解していた次第である。しかしながら今回の『アップデート』は予想していなかったものでどうやらこのサービスはこの検査会社のオリジナルであるらしいが、今後何かあればまた更新されるのだろうかとも感じてしまう。とにかく新しい検査結果のメールを開けてみたが、 新検査結果は100%ジャパニーズということである。なんの驚きもない、パスポートもそうである。だから何なんだ?

しかし実はこの一見普通に感じる100%日本人というところが重要で、100%というのは同じアジア人でも他のアジア系にはには持ち合わせていない何か日本人と断定できるだけの独特のDNAを持っているようである。 よく知られているように古代には純粋な日本列島の人間と大陸から渡ってきて日本に住み着いた人間の差があるようで、要するに時代はさかのぼるが自分は『縄文人』寄りということか?いやそんな古くのDNAまで診断していないだろうとも感じるが、とにかく100%日本人と証明されない結果があるとすれば当然韓国系、中華系に対してはいくつかのそれに合ったその地域に関したパーセンテージが出てその人たちにはおそらく日本人100%という診断はないであろう、なぜならアメリカの検査機関であるがゆえに少なからずの韓国系も中国人、東南アジア系も検査を受けているということだから。しかし検査が示すDNA検査の深さ、要するにどのぐらいまでの先祖(何世代何千年)までさかのぼり診断できるのかというのは尋ねてみなければわからないだろう。まさかクロマニョン人の%やデニソワ人の割合までは出るとは思わないが。

私自身としては別に韓国系でもインドネシアでもどんな血が混ざっていても結構である、偏見は無い。しかし考えてみればこのそばかすだらけの私の顔と、白人を伴侶にしても構わない性格、紺碧の瞳とブロンド髪の女性に対して同じアジア人女性以上に魅力を感じ日本女性には物足りなさを感じてしまうということは何かを意味しているのだろうかとさえ感じる。どうしても外国人女性には微塵の魅力すら感じない日本人男性も多くいるという話も聞いたことがあるし実際そのようである。もしかしたら人種を受け入れることとDNAは何か関連があるのかもしれない。まぁ考えてみれば亡くなった毛深く彫が深い私の父の面影をとってもこの結果が理にかなっているかもしれない。しかし私自身は母方の影響もあり彫が深い訳でも、背が低くごつい訳でもない。

以下がウェブサイトの画面である。

Japan100%となればある意味もう『逃げられない』感じだ
親切にも日本人のDNA保持者には日本という国の説明がある、もしかしたらほかのアジア系でも自身の国籍と違い日本人と診断される人もいるのだろう
親切にも日本の紀元前についての説明も順次記されている
次はなぜか頼朝の話
江戸時代の浮世絵や歌舞伎の話
最後は近代日本の話と日本人はどうして長生きかという説明だが、結局野菜と魚を食べるからという極めて通常の話の展開にがっかりする

自分はもう『逃げようのない100%日本人』という答えに、この世界の中で日本さえ良ければいいのではという『右傾化』と絶対に和食以外は口にしたくないという極端な感覚すら生まれてきてしまった。いやそれよりももっと太古に戻り自分は縄文時代的に木の実を頬張り、獣の肉を食い、果物を食い、暇さえあれば新しい縄文土器の模様を考え、午後は石器でも削り、その後は夕焼け空を見て、焼いた肉を食らい暗くなればすぐに獣の毛皮で寝るような自由さの中で生きたい。今自分は猛烈にご先祖がいた昔のような縄文的な暮らしに帰りたいと強く感じる。しかしここがアメリカということが少しツライ。

プチ家出

誰も自分のことを知らないところへ行くというのはある意味静かな刺激があるものだ。渡り鳥でさえどこか遠くへ冬を越すために飛び立つときはおそらくワクワクするものだろう。しかし人間には普段そのような刺激がないものだ、しかし時にはそのような長旅前の刺激が我々にもいるだろうと感じる、計画的な旅行ではなく。そういえばこの間日本に帰ったきりどこへも遠出をしていない。

昨日はデンバー国際空港近くのホテルで仕事上の講習会があった。夕方終わる予定であったがその後、私は家族には黙って一人で東に向かうことにした。ただひたすら東に、この道は州道70号線、大西洋につながる湾ある町ボルチモアまでつながっている。ガソリンをつぎ足しハンドルを握っていれば、まあとにかく大西洋まで行けるわけだ。一人になり遥か彼方の平原に広がる地平線を眺めればまた新しい感覚が生まれそうな気がする。しかしとてつもなく広いアメリカ、普通に運転しても車ではそう簡単に景色も雰囲気も変われない。

デンバー国際空港から東には平原と牧草地しかない

以下は今回のプチ家出の車窓である。

エアポートブルーバードから州道を東に行けばすでに、
柵もなく街灯もない何もない風景と牧草地しかそこにはない
講習会のために持ってきたスナック菓子を片手にハンドルを握る、
その名も『あられ』ではなく『あろれ』だ 発音は近いが
アメリカの1ドルストアーの 発売後も誤字がわからないセンスに驚く しかし努力は認める
おなじみの光景であるサイロが所々に点在し中西部の風景を醸し出す
小さな村には給水塔があり非常時の水として使われる
これがあるところは基本的に降水量が少ないのは言わずとも理解できるだろうか
黒い牛と茶色の牛が自由気ままに草を食らっている
食用になるまでの期間は自由しかない
マウンテンバイクを載せて気ままな旅だろうか
途中ローランドという場所で廃墟となった牧場を見つける、
何か面白いものはないか寄り道してみることにしよう
サイロも崩れ落ちその家畜小屋には寂しさしかない
住居跡の建物はペンキもはがれ屋根も落ち、時間を感じる次第だ 
玄関の階段に手すりがあるということは恐らく年老いた住人がいたものと思われる
部屋の中は荒れたままだ 白い部屋の色と床の剥がれ ストーブ用の煙突跡は
この家が1940年以前に建てられたものと推測できる 
床が抜ける心配もあり中には入らなかった次第だ
煙突の跡があるということはこれも住居だったのだろうか
牧場お決まりの風車は実は井戸から僅かな水をくみ上げている風力ポンプである
遥か彼方を見るとまた牧場がある 木が生えているということは水があるということで
おそらく地下水に頼った暮らしをしているのだろう いわばオアシスだ
アメリカにはスビーというスバル愛好者が多い
ミリオネアの資産家でもスバルを持っているらしいが
彼らに言わせれば実はポルシェよりも速いからだそうだ
私に言わせればサスは固くエンジン音がうるさい 結局軽自動車と変わらない?
私は車に興味はないが速いのは認める
速度200キロ以上で走ったのはこの車で経験したのが初めてだ
最高速度は240キロだがどこでそんな時速が出せるのか 
『これは女房の車である』
ハイウェーから降りて北に行く道は砂利の農道しかない なんと辺鄙(へんぴ)な場所だろう
しばらくハイウェーを走るとまた草原の中にシンプルな白い家を見つける
しばらくここで休憩しよう
時間だけ過ぎただれも住んでいない全てがシンメトリー(左右対称)な家 
こんな辺鄙なところで住人は何を理由に離れたのだろうか
ここから北へ行く下道も舗装のない果てしなく続く砂利道
アメリカの砂利道は砂利の大きさが小指の先ほどしかなく
雨も降らないために道は完全に圧蜜(あんみつ)されている
この白い家からハイウェーを跨ぐ陸橋を見渡すと同じような家が点在しているのが見える
恐らく同じ大工がここの村を作り上げるときに建てたのだろう
しかい実はここは住人100人にも満たないAGATEという地名で
実はここはどの市町村にも含まれないいわゆる非法人地区といわれる珍しいところだ
村ではなく単に1876年にパシフィック鉄道の工事により設立された居住地域である
車から一度でも出れば巨大な蚊が私を襲ってくる
大量の蚊が『蚊柱』を空中で作っている その光景は時として異様だ
この場所からまた東を望む すでに3時間近く運転してきてしまった
この分で家に戻れば夜9時以降になるだろう 残念だがライモン町を目前に帰路に就く
これ以上走ればプチ家出ではなく本気の家出になってしまうだろう
そうすれば女房の白髪が増えるのは確実だ 仕方がない 家のある山側に向かうとする
エナジー補給として買ったこのチョコレートもアメリカの100円ショップ”Dollar tree”モノであるが決して馬鹿にできないクオリティーでポーランド産である
味も通好みでダラーツリーは意外性にあふれている
しかし良品を選ぶ確かな『目利き』のセンスが要る 変な食べ物も当然多い
アメリカにはブラックチョコはなくダークチョコと名が違う しかしホワイトチョコはある
その辺の色に関しての感覚は読者なら気づいているだろうが 肌の色に対しての人種的背景がある
ブラックチョコとなれば『なんだって?じゃ俺は買わない』と感じる輩がいるのは事実である 悲しいがこれがアメリカの未熟さと言えようか
確かに長距離の運転は飽きてくる こうなれば音楽でも聴きたいものだが
ラジオをつけても聞こえてくるのは雑音ばかりである
私の顧客はサテライトラジオを車に乗せて長距離運転の仕事に行くらしい
ラッキーにもCDプレーヤーには女房のCDが入っていた これは80年代のユーリズミックス。英国系の女房は英国のテクノ音楽と古典ドラマが好きだがこの中でヒット曲集といえどもわずかに一曲しか私は知らない このバンドの一体どこが良いのだろうか 頭の病気になる前であれば聴きたい音楽もイメージできたろうが私の右前葉頭はある意味死んだ
長距離運転は足が疲れると思われるだろうが アメリカの車にはクルーズ機能があり
ボタン一つで速度を保持できる 運転速度の速い車遅い車は単にクルーズの速度設定で性能ではない
おおよそ平均時速135キロぐらいで走る
時には170キロで数時間走るが速度に慣れれば速さは感じない 写真にあるようにこの車にはクルーズコントローラーがハンドルについている 緑色の表示もクルーズ走行セットの意味である
これがついていなければアメリカでの遠出はかなり厳しいだろう
ただひたすら来た道の西へ西へ車を走らせる
23マイル(35キロ)ほどデンバーに近づくとようやくロッキー山脈はその雄壮を表す
遠くに見えるガソリンスタンドの価格表示はレギュラー
現在1ガロン2.85ドル おおよそ1リットルでいえば72円ほどだろうか
これでも高いほうで昨年はリッター55円もしなかったのだ
その昔ジョンデンバーというフォークシンガーがいたが彼はコロラドの生まれではない
70年代の彼の名曲カントリロードは有名な曲だが今ではその当時の雰囲気はアメリカにはない 時代は変わるものだ 人は時代に引きずられてはならない
来た道を横目にまっすぐ西へ向かう 日の入りはそこまで来ている
昔は山が好きで日本では百名山をすべてを制覇するなんて馬鹿げたことを言っていたものだ
しかしアメリカの山には山菜も山里もなく風情も旅情も温泉もない
山を楽しむ=キャンプとハイキングあるいはクライミングしかない これでは中年には厳しい
いつものホームレスも日曜は家で休んでいるのだろう いつもの場所にいない
いやいや建前上家は無いことになっているのだ
以前住んでいた『アパートよりも小さな青い家』に戻ってきてしまった
文句は言えない 雨露がしのげて寝るところがあり
せめて自分には白い飯と漬物とみそ汁があればそれでいいだろう
しかし、考え方によっては床の曲がった小さな家で見るのもうんざりする、といった考え方もできれば、私名義の家と土地がこのアメリカにあるという考え方もできる
人はその時の一瞬の考え方でハーピーにもなれ、真っ暗闇にもなれる
どうせ同じ時間と空気の中で生きるならばやはり精神的には前者が良いだろう。
青いラインが実際の運転距離だった カンザス州境の黄色いラインまではまだ遠い
デンバーの左からロッキー山脈は急に起伏が激しくなり
運転をしていても高山病になる場合すらある
ボルチモアまでは遥かな旅となる しかしあまりアメリカに興味のない自分は訪れることなどないだろう

悲しいことに地平線を眺め思いにふけることもなかった ただ覚えているのは自分の首に一刺し、ブクブクに太った一匹の蚊がふらふらともたつきながら車の外に飛んで行ったことだろう。なんということだろう、250キロ以上車を飛ばしたった一匹の蚊に自分の血を吸わせただけなのかと考えたとたん、虚しさを痛感した。しかしながら幸い不思議とこの蚊に悪意を感じず私は『おぃお前腹いっぱいになったか?』と尋ねていたぐらいだ、おそらくこの蚊は蚊柱に戻り仲間に腹いっぱい中年男性の血を吸ったことを自慢するだろう、あるいは彼らの世界での意外な出世があり、蚊柱の柱長(はしらちょう)になったかもしれない。柱長になったならばその後は可能な限り多くのボウフラを伴侶と増やしてほしい。結局人生なんて人間も動物も虫も子孫が増やすことがこの世界での真理で目的かも知れない、蚊よ!十分オレの血を栄養としてくれ。筆者

私がどのように英語を米国で学んだか(教材)

青い目の女房を持ち、大学院で米国人生徒を前に教壇に立ち、自前のビジネスを持っている脳の後遺症のある50近いオヤジがたった一つ小さく自慢できるとことは、英語は独学ということだろうか。

正直言うが、日本や海外で英語の学校など行かなくても英語を話す恋人は男女問わずできるものだ。しかしそう言えども高校英語で終わりでは話にならない、残念ながら話せないのが日本の教育事情だろう、結局自分で学ぶしかない。これから説明することはアメリカで独学した教材の話だ。日本ではピンズラーという聴くことと自分で言いなおすCD教材だけだったような気がする。一方アメリカに来てからは英語で説明された2つの英語文法教材を限りなく使った。これは日本で友人だったアメリカ人の英語教師の推薦教材だったのを覚えているが実は今でもそれから時々学んでいる。正直な話、私のアメリカ人妻は全く英語を教えるどころか間違っていても私の言っていることが分かれば直そうとしないのだが、これがかなり辛い。アメリカに来た頃妻の言っていることが十分理解できずこれが原因で本当に対立したものだった。スーパーでの買い物もちょっとした会話ですら、なんでもかんでも理解できず困ったのだが「困難」という場数を踏まなければ語学は上達しないように感じる。

さて話を進めるが、私がアメリカに渡った特に初めに使った英語の教科書は小学生レベルの文法の教科書である。名前はEssencial Grammar In Use 小学生レベル レイモンドマーフィー著

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この本をしらみつぶしに読み書き、理解できたならば次は以下の本である。

これも同じ著者と出版社であるが、内容は濃く実用的だ。しかし英国とアメリカでは使う言い回しに違いがあるがそれは本の注釈でわかるようになっている。例えば、”Needn’t” 要らない。という言葉はアメリカでは使わない。

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当然日本語での説明はないのだが、高校英語を学んだのであれば理解できると強く言いたい、なぜならこの私でさえ理解できるのであるから。初めは理解できなくとも何度も何度も読み、ネットで多少調べても理解を助けられる。これらの二冊以外でアメリカで暮らすならば米国語のスラング集American Slang Dictionary等を買えばそれ以上語学に金を使うことはしなくてもよいだろう。しかし当然翻訳家や通訳等の専門職に就くのなら話は別でもっと言語学に精通するべきだろう。私の妻はこれらの教科書に関しても何ら意見も言わず、私は結局女房の助けもなしに独学と独力で道を切り開いた。またあなたが留学を希望しているのであればアメリカの田舎へ行き日本人と関わらないで学ぶべきだろう。

学校での銃乱射に「慣れる」コロラド

慣れというのは本当に怖いものだ、実はそれがとんでもないことであっても。

昔、第二次世界大戦でドイツ軍がユダヤ捕虜を殺害するとき兵士に執行のボタンを押させたのだがほとんどの兵士は初めての任務として執行する際には当然ためらい、震え、恐れ、良心の呵責に悩まさせられながらも上官の指示に従いボタンを押したそうだ。しかしそれを100回、500回、1000回と繰り返せば初めて押したときのような気持ちはほとんどなくなり自分が人を殺しているということ自体感覚的になくなってしまったそうだ。しかし実際には1000回目も1回目も同じことをしているのだ。これが『慣れ』というものかどうかは分からないが最近のコロラド州の銃乱射事件もでさえ『またか』という具合で全米トップニュースには既にならない。

よく考えてみれば今回の事件の小中高の一貫校の頭の良い生徒ばかりが集まる私立校でこのような一人死亡で数名重軽症、しかも銃を使ったのは卒業生と在籍する小学生というのは既に次元の違う世界のように感じる。しかしこれによりコロラド州だけ銃規制するか、という問題は起き上がることは無くニュースが伝えればその後は平穏なコロラドの生活に戻るだけで、事件の背後はどうだったかなど精神面に触れる情報などはない。完全にアメリカは銃の犯罪にマヒしてしまっている。

とにかく、考えてみてもコロラドは大麻の規制緩和もあるがいろいろなモノに中毒になっている10代も多く、社会は何らコントロールも問題提起もしていないしやる気も無いように見える、こうなってくればここコロラドだけの問題でなくアメリカ自体の全体的な退廃を感じる。トランプさんのモラルの欠如は就任当時よく取り上げられたが、今ではそのあたりを指摘するメディアも少なくなった。これがいわゆる慣れというものであるかもしれない。新しい社会の物事はやがて民衆の『慣れ』によって完全に定着するのだろうが、重大な犯罪や罪に慣れを生じさせることはやがて世界が終わりになることにつながるだろうとさえ感じる。

例えば簡単にジーンズを取り上げてみると、アメリカでは10人に9人がジーンズを履いていると言っても過言ではない、しかしこの夏暑く冬も意外と寒く硬い布地でできている西海岸発祥の炭鉱夫の作業ズボンは考えてみれば決して実用的ないい衣類ではないのだ。しかしこの今の世界では「格好いい」標準的なモノであり、誰も文句も言わない。おそらく200年前の人間が見れば奇抜なモノだと感じるだろうが今の現代の世界では誰もそう感じない、かえって中世のヨーロッパ男性が履いていた紫のタイツと茶色い革のブーツという組み合わせを皆がしていれば、今の世界ではおかしいと思われるだろう。これと同じようにアメリカでは銃が家や車の中にあることが普通の世界となってしまっている、何ら変ではないのだ。しかし最後に言うが必ず銃もジーンズも何かが「おかしい」と言う風に違和感を感じる時代は将来必ず来るだろう。しかしできるならば1秒でも早く来て頂きたいものだとここアメリカで感じる。

結局、憶測的にブルージーンズを履かないのか筆者? という具合に話がズレたことを認め謝りたい。

英語で一番学ぶべき会話とは

『英語』。自分にとって語学の分野では一位か二位に嫌いな言語だと言える。英語が嫌いだが伴侶が話し仕事でも使うのでいやいや使っている。英語が嫌いな理由は簡単に言えば英語を使う国でおいしい飯にありついたことが無いのが一番の理由だろうか、バカな中年オヤジの考えだが事実だ。英語を使う人種は世界で自分たちが一番と感じていることもシャクに触るが、これは英国王室が単に出しゃばっているからだろう。自分的に学んで楽だなと感じたのは中国語であった、今では話せないが。若い頃フランス語も習いパリで使ってみたが返ってくるフランス語が速くさっぱりでホテルでは英語を話した方が通じるという情けない結果に終わった、しかし言語的には発音が好きだった。

面白いことは中国語の会話の中では眠れるが英語の会話が聞こえる中では鼻に抜けるそのアヒルの様な発音の子音が妙に耳障りで眠らせてくれなかったのを憶えている。ロシア語もイタリア語もポルトガル語も何語でも言葉の裏には必ず文化があり、話すことは文化も受け入れなくては上達しない。要するにアメリカ人が好きでなければ英語は上達しない、これははっきり言えることだろう。

さて要点だが、英語を話す上で一番重要で避けてはいけない会話はズバリ『交渉』に関わる会話であり、わかりやすく言えば文句・クレームをいう際の会話であり言葉であろう。例えば発券されたチケットが予約と違う、車の修理がきちんと終わっていない、料理が生で食べれない、変なにおいがする。ホテルの階下の部屋の騒音がうるさくて眠れない部屋を変えてくれないか。先週他の人と言われたことと話が違う確認してくれないか、などを電話で確認するなど。限りがないがこれらは外国語を話す上で一番重要であり、自分の名前や家族構成、あるいは趣味や学んでいることなど実際は話す機会もあまりないし重要でもない。英語学校などで習うことの多くは重要度がかなり低い。

実際の交渉会話というものは自分の訴えを言った後の相手の出方で、相手が間違いを肯定せずこちら側の言っていることを否定し、そんなことは無い一体何言っているんだ!などと言われてからが本格的な交渉会話の初まりである。これはクレームではなく自分の納得する状態までもっていかなければ意味はない。例えば車の修理であれば完全に直っていない、あるいは直せなかったのであればそれらを相手方に認めさせ値引きさせるぐらいのことはさせなければならない。状況が何も進展しないのであればせめて認めさせることが重要で、謝罪することまで要求しなくてもよい。しかしほとんどの場合間違いを認めれば謝るのが人の常だろう。大切なのは決して感情をあらわにせず淡々と、スムースに事実と考えを話すことが重要である。決して感情を入れてしまってはいけない、ある種の人間は怒っている人とは話せないと言い会話自体を拒否する輩も存在する。しかしもしも自分の訴え自体が間違っていれば気が付いた時点ですぐに謝るべきである。もしここで謝らないのであればそれはあなたの強情でひねくれた性格も悪い。

あなたが語学勉強を始めたならば、交渉や説得させる会話を早めに習得することを勧めたいものだ。恋愛やデートの会話は会話が重要でなく、態度が会話よりも重要であろう。ほとんどの場合態度や服装で中身まで見抜かれてしまうものだ。レストラン行っても相手の体臭が気になり食事が喉を通らない、あるいはメニューを指さした人差し指の爪の間が黒く汚れている。禿げ頭がまぶしすぎて皿の上の料理がよく見えない。こんなことがあれば二度と誘う気になれないし誘われないかもしれない。

この世界で生きていく上で知っておくべきこと

真面目な話だが二つの存在を知ることでこの世界で生きるのが少しだけ楽になり、自分が生きる上で周りの多くのことを予測判断しやすくなる。その一つはまず『神』の存在だろう。神がいることを感じ、知り、そして認めることだ。これには理屈はないだろう。この世界の全ての良いことは神から出ていることを知ることは極めて大切な事だ。なんとなく幸せを感じる、なんか良いことがありそうな気がする。生きていて自分は楽しい、自分自身でいることに幸せを感じるということは全て神から出ている。それは人間の根源と言っても過言ではない。素晴らしい音楽、絵画、テクノロジー、科学・化学は神が許した範囲で行われている。失敗や偶然の中からの発明、発見。予想しなかった発明、発見など人は気づかないでいるが全ては神の仕事だ。私はこれらの言葉を聞くたびにもしその人が神を知らなければ愚かだと感じる。

すべての物事は神から創られている、極端なことを言えば花が咲くのも、魚がいるのも、地中の資源も作物が成長するのも、魂が胎児の中に入ることも、地球と太陽の位置も全て神が行った業である。これらのことを理解するのは難しくはないだろう。人間には神を感じ知る力が生まれながらに一人一人に授かっている、なぜなら神自身が数えられないほど遠い過去に私たちを創ったからだ。この世で人間が生きている目的は自分自身が将来この死ぬべき身体が無くなった後も魂がまた鍛練され数えられない時を過ぎた後『神』になりさらに自分が多くのものを支配する時が来るのである。しかしこれらはこの世界の精神世界では理解し難いだろう。ただ神を信じることが大切だ、そうすれば人生は良い方向へ確実に変わると断言する。それ以上にあなたがいい方向へ行きたいなら、自分の信じる神に寝る前に何か心から感謝することだ。付け加えるとすれば神は人と同じカタチをしていて同じように喜怒哀楽を感じる。

問題は次である、それはこの世界には『悪魔』が存在するということである。悪魔は目には見えないがこの世に多くいて人間に悪いことを起こさせようと必死だ。人と同じカタチをしているのだがこちらからは決して見えない。悪魔は鬼でも亡霊でも地縛霊でもない、悪魔なのである。すべての悪いこと、殺人、強姦、脅迫、詐欺、窃盗、全て悪い事柄はこの『悪魔』から出ている。しかし実は神が悪魔をこの世界にいることを許しているのだがこれも意図して善と悪を選ばせるという魂の成長のためである。

問題はこの悪魔という目に見えない者たちは私たちがこの世に生まれてくる前からその個人をよく知っているので、極めて巧みな方法で誘惑し底に落とそうとする。底に落とすのというのは生きる価値がないほどまでに悪い人間に仕立て上げそのまま死ぬことだ。悪魔は個人をよく知っているのでその人物のどこに弱点があるか十分承知である。異性に異常な興味があるなら最終的には異性を殺せと誘惑するかもしれないだろう。憎しみがなかかな沈められない人物であれば無差別に人を殺せと囁くかも知れないだろう、カネに嫉妬深ければ強盗し反抗する者全て殺せと囁くだろう。これらの行為は全く神と逆の立場である。

悪魔は特に大きな失敗や挫折で人が弱くなっている時を選び誘惑してくるものだ、簡単に言えば悪いことをさせようとし、多くの人間が不幸になり悲しみ希望をなくし、死にたいと考えれば彼らの成功である。戦争も武器もテロも全て悪魔が基礎になっていると考えれば矛盾はない。少し前の記事のコロラドの学校襲撃予告事件もフロリダに住む彼女は悪魔にそそのかされたのが容易に理解できる。人がだんだん変わり気味悪くなり何かを企んでいるようなことがあればそれは徐々にと悪魔に従っているのである。悪魔の好きなことは全ての生きている人間がこの世での目的を達成せずに(魂が成長できないまま)死ぬことだ。どうしてあの人がそんな大事件を起こしたか理解できないという言葉を聞けは、今後はそれは『悪魔に従ってしまった』ということであったとこれを読んだ読者であれば容易に理解できるであろう。もっと簡単に言えばヤクザやマフィアも気兼ねなく悪魔に従っている輩であるからこの世の理屈が既に通じなくなっている。おそらく彼らは生まれるまえからどうでもいいという気持ちで生を得たのかもしれないが、神より創られた人間は更生できるものだ。悪魔の誘惑に人間は対峙でき悪魔に従わないでいることは難しいことではないし、その存在をここで知ったあなたであればもっと簡単だろう。

発展途中の星と人

これはちょっとブログの雰囲気から離れたオカルトじみた話かもしれない。しかしどうして不都合で納得できない悲しい出来事がこの世界では多々起きるのか?

母体を通じ地球に送られてくる人間は成長途中の魂を持った人間である、言わば魂の子供か或いはひよっこである。
地球に来る人間は、肉体という不完全な借りものを使い魂を訓練するためにこの星に来た。当然地球にはまだまだ平均レベル以下の魂を持ち合わせた人間もいればこの世の経験という修行により平均よりも上の魂になった人間も存在する。何回も悪いことをして裁判を受けても反省すらしない人間もいれば、あの人は真面目で立派な皆の鏡だと言われる人間も確かにこの世にはいる。誰かが自殺未遂をした、自殺をした、人を殺した、浮気をした、窃盗、詐欺 賄賂、薬物中毒、恐喝、暴力。どれを選んでも幸福を感じることはできず経験した人は落胆し希望さえ失うだろう。こんなこと生きていればある程度経験するものだと感じてしまっているかもしれない。所詮世の中なんてそんなものだと感じてしまっているかもしれないが、それはこの発展途中の星と成長途中の人の構成による。

宇宙の他の星はもっと高度で洗練されているのである。その世界には人間の理解を遥かに超えた魂を持った人間たちがいる。そこでは殺しも窃盗も何一つ悪いことは存在しない。その星の海辺で裸で寝ても虫にも蛇にも噛まれはしない、なぜなら全てが平和でクリーンな星であるから、公害も人々の争いも存在しないしそんな言葉すら無い。ならば高度な星々はどこにあるのかと考えたいものだが、残念ながら人間には探すことも見つけることもできないし、おそらく近くにあっても意図的に隠されているだろう。それはこの世界の未熟な宇宙テクノロジーや天文学的な問題かと考えるだろうが、実はそうではなくこの人間の魂がグレードアップすればおのずと向こうから公(おおやけ)に『やぁ、こんにちは』と宇宙のどこかから現れてくるだろう。彼らが地球まで来るテクノロジーは十分に備えている。天文学という遠くにある星や星雲を探しだす仕事は無意味なことかもしれない。しかしこの訪問者が地球に公式に挨拶に来たとしても世界の軍事力が集まり撃ち落とそうと懸命に攻撃するだろう。結局、無知なモノには戦いを挑んで自分たちの目前から消すのが発展途中の地球人のすることだろう。

所詮、この地球は汚れていて害虫もいれば毒を持った動物も植物も多く存在するし夏の夜に野外で裸で寝ることさえ虫刺されでできないのだ、この地球自体レベルが低いという言い方もできる。そのような発展途中の星で皆が考える人の成功なんていうのは金を多く楽に生み出したかそうでないかで終わることがほとんどだろう。多くの人間は時に人は失敗するのが普通の生き様と考え失敗すれば落ち込むだろう、しかし実際大切なのは失敗の中からしか学べないことを経験することが人間の魂には一つの成功で成長なのである。
逆の言い方をすれば人は悩み苦しみ自殺を考えるほどにまで苦渋を味わうために生まれてきたと言っても差し支えないし、それが必要でその経験により自分の魂に磨きが掛かればそれで一つ階段というレベルを上ったのだ。だから結局だれ一人であれ完全な人間もいないのであれば、あのような人に成りたいと尊敬を感じても『不完全なあのような人』に憧れるのはある意味全く無駄だということであろう。自分の生き方をしろ、ということだ。

例えば、ある人間が不倫したいと思うのも、自分では気づいていない生殖機能の度を超えた欲求と不完全な肉体が起こす本能であり、自分の魂の成長を考えるのならば『考え』だけにしておいて決して行動に移ってはならない。しかし最終的にはそのような考えさえ起きなくなるように精神を修行(訓練)させることがこの星にいる間のそのような『癖』がある人間に与えられた重要な仕事なのだ。不倫と言うのは身体をコントロールできない未熟な魂と頭の中にある過度な生殖ホルモン本能がもたらした不完全さの結果であるが訓練次第でこの手の癖は克服できるので安心して頂きたい。しかし不完全な肉体があるのも『医学』という研究課題がこの世界のために計画的に与えられているということだろう。ましてや自分の伴侶を馬鹿者だとか少し気狂いなどと自分が思うその前に相手の魂がこの世界で成長段階の途中であるということを自分なりに理解しておけば幾分の怒りも減り、逆にいとおしく感じるかもしれないだろう。

この世界から見える月も時間をかければ行けるような距離にある火星も、地球に尽きない熱を与えている太陽も地球の地軸の微妙な傾きも全てが偶然でなくこの世界のために与えられているのを理解しなければいけない。そしてこの星が奇遇ではなく太陽系の中で氷でもガスの世界でもなく微妙なこの位置にあるのは魂を成長させる人間に与えられている場と悟らなくてはならないが、一体この発展途中の世界と一体誰のコントロールでここに自分がいるのか、誰に与えられているかということは、長年の飾アメ読者のなら悟っていると願いたいものだ。この世での暮らし悪いことをせず考えず魂を磨き正しく生き、人生と言われる修行を成功裏に終わるのがまずはこの世界で生きている目的だ。

自分がダメかどうかは国の価値観で左右されるだけ

あなたがもし、自分はダメで役立たずと感じ、会社でも嫌われ今までの仕事も1年と続かず、家族にも愛想をつかされ恋人にも振られ、自分はもうこれ以上最悪な人生も無いと感じ、私は今どん底だと心から感じ、最悪死んだほうがいいのかなと感じているかもしれない。

しかし人にはまだ想像すらできない世界がこの世には多くの存在する。日本はお互い他人に厳しく『今回は本当に申し訳ありませんでした』をよく聞く世界でもあり人生の出直しが容易に許されない世界である、一方通行の人生でもある。しかし世界には自分の想像を絶するようなお気楽で、あり得ないほど楽天的で、考えられないほど失敗を失敗と考えない国がある。その一つを例えているとこの『アメリカ合衆国』であろう。アメリカには『私は情けない』という自分を卑下した言葉が存在しない、この国は自分を卑下する文化が無い。トランプという大統領の髪形を思いだして頂きたい。左側は植毛の失敗である(情けない)、セクシー女優とのありえない過去それでも大統領を務めている(情けない) 、多くの離婚を経験し最後は自分を理解してくれた東欧の女性との国際結婚(やや情けない)。これらを考えてみても日本の常識では考えられないことをしているが、多くの支持者がいて世界を股にかけた仕事をしている。日本であれば女優との噂が出た時点で辞めているだろう。しかしこのアメリカの支持者はそれすらまともに感じず受け入れている。

日本にいるあなたがいくら自分がダメだと感じてもそれをあるアメリカ人から見れば全く失敗でなく、実は人生の勉強中であるということだと諭すかもしれない。むかしチャールズブロンソンという俳優がいた。彼は移民で若いころ炭鉱で朝夜と働いていた。周りから見れば若いのにもう人生の落後者に見えるかも知れないが、その経験は俳優としての基盤を作りどんな役でも謙虚にこなせることが出来た。それらは全て辛い炭鉱の仕事があったからだ。あなたが今どんな無駄に感じることをしていてもそれらは決して無駄にはならず生きるための栄養にいつかになることを忘れてはならない。マドンナでさえ過去に強姦された経験さえあるがそれを過去のこととして考え、60を超えた今でも堂々とした歌姫である。

人に大事なのは立ち止まって深く考え過ぎないことだろう。アメリカの交差点にはほとんどと言っていいほどホームレスが立って信号待ちの車に向かい物乞いをしている。寒い中家族で物乞いしているときもある。彼らがそんな物乞いの人生が最悪だとそう考えてしまえば既に最悪というレールに乗ってしまっていて、降りることはそうやさしくない。時々数人の男女のホームレスが交差点近くの芝生の上で座り談笑し、ふざけあって楽しくしている。車が来れば笑ってピースサイン。そんな最悪の状況でも最悪と考えずひたすら陽気なアメリカンホームレスを想像していただきたい。自分の価値観、その国の中の狭い社会の価値観で自分の人生を見てはいけない。社会の中では自分は自由でない気がするだろう、しかし人間は基本自由な生き物なのだ。どこに行こうと何を食べようと何を着ようと泣こうと笑おうと自由なのだ。嫌なことがあればとっとと逃げればいいんだから、嫌なことがあるならやめればいい。『辛抱』しないでくれ。

結局自分を咎めるのは自分の考え方。

我慢なんてする必要はない。

人間は自由なんだから、基本。

筆者

乱射予告で市内全ての学校閉鎖

その昔、日本でもニュースになったコロンバイン高校銃乱射事件は私の家からそう離れてはいない。12人の高校生がその学校の高校生に殺された。実際その後似たような事件が全米の学校で起き、その後も数年ごとに類似事件が起きている。なんということだろうか。

今回の銃乱射予告はフロリダに住む18歳の女性がコロラドに来て銃乱射事件を起こすというブログ内の予告から始まった。時期もコロンバイン事件の日時に合わせてということだ。これをきっかけにFBIは関連する地区の100の全学校を水曜日終日閉鎖することにした。隣の市の私の息子が通う小学校までも遠足が中止になった。

しかしよくよく考えてみると実に馬鹿げた話で、18歳の女の子がわざわざ他州に来て銃乱射を起こすことなど狂気に満ちているが既に空港で最後に目撃されてから後、コロンバイン高校近くの銃器店で散弾銃を入手しているとのことだ。考えてみればたった一人で起こすという事件を警察は回避できないのかと感じる。学校ごとに一人の警察官を緊急配備させ現れたところを御用とすればいいのではとも感じるが。しかし現状を見る限りややパニックに陥っているようで、とにかく子供を家に待機させるべきとの答えが出たのだろう。ベガスの銃乱射にせよ乱射が始まってしまえば後ろから取り押さえない限り防ぎようがないし、その時既に何人か亡くなっていることだろう。

フロリダ州サーフサイドにある実家も家宅捜索されている。実際コロラド州デンバー市内と隣接する100の小中高を休みにすれば一体どれだけの共働き世帯に被害が被るだろうかとも考えるが、当局は事を大げさにして銃規制に訴えるという雰囲気も一方では感じられる。

しかし事件は急展開を見せる。。。

今朝ロッキー山脈の林の中で彼女が自殺しているのを発見され。事件は結局何も起こらず終息に向かった。

誰かの報告によりしばらく前からFBIは彼女のブログを観察していてこの事態を防止できたと察する。フロリダとコロラドのFBIの連携の賜物ともいえるが、このような危険人物がアメリカには何千何万人といることだろう、しかし一人一人に注意を向けておくことはほとんど不可能である。それよりはやはり銃自体(散弾銃、マシンガン)を買えない法律でも作らない限り事件が減ることは無い。この事件が起こる前に彼女はナショナルガンフォーラムの伝言板内でどうすればコロラドで銃が手に入るか聞いている。以下画像

どうすればコロラドで銃が手に入るかフォーラム内で聞いているが、
おとりとして答えている人物は既にFBI捜査官であると察する。 COとはコロラド州の略である
このブログの中でコロラドで事件を起こすと言っている
FBIにマークされた人物と十分に言えるか

高校時代から黒系のダブダブの服を着始めたとも言われている。以下は彼女の日記であるが、文字にしても絵にしても残念ながら普通の精神状態であるとはいえないように感じる。

既にショットガンの絵が描かれている
どくろ印や黒ずくめの服など実は悪魔のサインなのである
私はもう昔に死んでしまっている
全部が終わっているのが見える 私は誰か違う者でも始まっていることは止められない。。。
中略 私は誰か違う人間だった。。

4月の嵐と独り身のリス

2、3日前までは初夏の様な気候だったが、4月10日アメリカ中西部にブリザード警報発令。しかしこのような天気にも慣れ逆に今年は冬が恋しいほどだが、寒い中に温かい家でゆっくり過ごすのはいいものとも感じる。しかし実際自分は家でくつろぐことなんてできやしない。一番のリラックスは図書館の一人用ブースに座りただ何も考えず過ごすのが一番だろう。私は独身時代が長かったために人恋しさも人と交わって楽しいひと時、と言うよりも一人静かに焚火でもしてメラメラと燃える音のない火を眺めているタイプだ。孤独を愛するオヤジだが淋しさを感じられないのがまた少し悲しいものだ。家の前の花壇の花も芽が伸び始めた矢先だったがこの雪と低気温で枯れるのは目に見えている。花の話なんて私らしくないのだが。

この写真にあるアメリカ製の日本車も26万円ほどでメキシコ人から購入し、現在200000マイル約32万キロ走行した。まだ購入時から40000キロほどしか走っていない。2000年の古い車であるため殆ど洗うこともなく、雪が積もれば庭用のモップで窓の雪をどかし相当荒く扱うがそんな乗り方が自分には合っている。車の定義は走れば良い、この一言に尽きる。このような車を英語ではBeat up Carと言う(叩きのめされたとでも言うべきか)残念だが車に興味があるわけでもない私だが簡単な修理には興味がある。部品をネットで見つけ週末に簡単な修理をするのだが実際には修理の人件費を抑えるためだ、通常メンテの他にドアウィンドーの交換なども自分でできる。アメリカの修理屋の人件費は1時間1万以上するのが並だ。しかしこの車の大きな問題は100キロ以上で走ると揺れ出すことだろう。昨年ディーラーに持って行ったが想像もできないとんでもない箇所を交換され10万円取られた挙句、最後に実は問題はタイヤにあるかもしれないと言う。冬場にブリザックと言う良いタイヤを入荷するから買わないかと誘うのだがこれがコロラド州にあるトヨタディーラーの仕事か?タイヤのバランスもホイールもブランド物のタイヤも問題ないことは自分では承知している。この国ではディーラーでさえあてにならない、実はそれは業務委託だからで実際には個人事業主なのである。問題は前の持ち主であった楽器屋がスピーカー等の最大積載量以上のモノを常時運んだのが問題でシャーシ自体歪んでいるのだろうがこれはもうどうでもいい。

ガリガリと張り付いた氷を剥す音はこの辺りの朝の音だろうか。このフロントガラスにあった20センチほどのヒビも幸い昨年自分で直せた。一番粘度の薄いレジンをヒビに渡って塗りすぐにその上から薄いプラスティックでできたシートをヒビに沿って張り、陽の下で一時間ほど置けば固まる。後はカミソリにより剥したシートの下にある余分なレジンを取り除くだけだ。レジンは既にガラス同士のヒビに漏れなく染み込んでいるため今後亀裂が広がるわけでもなく、言われなければわからないほど綺麗に直るがこれを修理屋に出せは数万円は取られる。リペアセットはウォルマートで1200円ほどだろうか。飛び石でできた穴も同様に綺麗に直る。

玄関先の木の洞(うろ)に住んでいるリスは独り身の様である。背中に哀愁をかんじる。この木の洞には毎年いろいろな動物が巣を作り、キツツキが住む年には中にあるリスがせっかく作った枯葉や繊維質のベットが地面に放りだされる次第だ、これはまるでアメリカでローンが払えなくなった住人が留守の間に銀行により家財道具を道端に放り出されるのに似ているがこのような家はフォークロージャーと呼ばれ格安で不動産業者により売り出される。キツツキも実際には誰もいない洞に巣を作り始めるのではなくリスが外で餌を探しているほんの少しの間に自分たちの居場所にしてしまうというなんともズルいありえない手法で巣をつくる輩だ。

些細な物音でもすぐに巣穴に入りキョロキョロするリスは可愛いがアメリカの野生動物は病原菌を持っているので注意が要る。噛まれて犬ではないのに狂犬病になってしまった人もいるのだ。最近感じるが結局人間も動物も中に入っている魂は同じではないかと感じる。要するにリス用の魂や人間用の魂が存在することではなく全て同じということ。輪廻転生は私のキリスト教では信じないがそれでもこの世で得られる知識には限界もあるだろうし隠されたことも多くある。実際どうやって命が肉体に入り、体でないこの魂をだれが支配しているかはこの世では一般的な常識としては知られていない。キリスト教ではこの世での行いに応じ死後にその行い(人生)が正しかったかそうでなかったか見極められるという。キリスト教の清貧精神はその辺に理由があり、終生正しく生きることは肩書や収入、富、この世での成功にも勝り、生き方に重点が置かれる。要するにこの世の価値あるといわれていることは実際はそうではなく目に見えないモノに真理があると理解すれば簡単だろうか。この辺の考えがあり私自身『キリスト』と言われる道に入った。恥ずかしながら私自身生涯通じできることなら正しい人間になろうではないかと思った次第だ。しかし実際は難しくこの世は誘惑と無知で溢れかえっている。

このリスには自分の名前さえなく動物は名で呼び合うこともなく自由だ。彼らは臭いや顔で判別するのだろうか。仕事は自分の飯を探し食うこと。食べたなら寝る、時々巣穴から自分のテリトリーを見張り侵入者には威嚇する。時には寒さを感じ、暑さを感じ、風を感じ、自分の命を感じるのだろうか。それとも今日は寒いナァなんて感じないのだろうか。

陽が出てくれば背中を温め『日光浴』もする。まったくお気楽な暮らしぶりと言いたい。

古ぼけたミニバンと床の傾いた小さな家でもあることに心から感謝したい。いま楽しいことは何もない。ただ寝る前に少し反省し、その日々精一杯正しく生きれば私はそれで生涯いいだろうか。

教えるという仕事を通じ人間の愚かさを痛感

大家と借主、雇い主と従業員、教師と生徒。これらは決して互いに理解し交わることが出来ない間柄と昔から言われている。本当か?

私は今の学校で生徒に教えるという仕事に就いて過去にお世話になった自分の恩師の日頃の辛さと、習う側の人間の愚かさを痛感してしまったようだ。時に自分は暴力は振るわなくとも昔から先生に反抗するような立場を少なからずとってきた次第である、今さらではあるが自分はかなり間違っていたのだろうと自責する次第だ。アメリカの大学院内のクラスにも何を考えているのか理解することがかなり難しい生徒がいる。俺も過去にそんな生徒だったのだろうか?。教師として疲れる生徒はまず無断欠席や宿題をやってこない、早く帰りたがる、授業中どこを向いているのか全く話を聞いている素振りが無い、携帯をいじりだす。これらは失礼とも思われる態度であるがやっている本人は全くそんな気分もなく自分は大勢の中の一人であるから目立つわけがないといった素振りをしている、しかし教師から見れは逆にその一人が気になってしまい逆に後の大勢はのことは考えなくなってしまうものだ。 正直私のクラスは単位のために在籍しなければならない生徒も少なからずいるのは確かだ。 ただ問題は40過ぎのアメリカで社会経験も豊かなオヤジ生徒であるがゆえに単位のためとは云え、こちらから見れば授業に出るのであれば少し礼儀をわきまえ態度を変えられないのかと考えてしまうのだ。

多少は私の脳障がいも兼ねているのだろうが、真面目ではない生徒のことを四六時中考えてしまい、本業の方にも力が入らないほどになってしまう。私自身の高校生時代数学の教師と肌が合わず、自分の中学の教師の教え方が悪いゆえに今理解できないのだ、などと言ったことを機にその高校数学の教師は突然激高し私を机の上に立たせてその時間の授業を行ったのを今もわずかながら覚えている。その教師は『ふざけんな!ムロ』と言ったことも覚えている。今このような状況を考えれば私が間違っていることは明白で、それでも少し言い方さえ変えればその場は変わっていただろうと感じる。正直自分には中学の数学でさえ難しかったのですと自虐すればよかったのだろう、とさえ感じる。

数年前に帰郷した時にも昔世話になった小学の先生に妻とあいさつに行ったことさえあるが、実はその女先生には叩かれ泣かされ怒鳴られ、最後には面倒見切れないから特殊な学校に転校してくれないかとさえ言われたものだった。私自身彼女を嫌いぬいていて当時はとにかく学校に行かないいわゆる『登校拒否児』と表現するにふさわしいグレた自分自身だったが、現在50歳近くになり多少の角も取れて当時の自分自身を考えてみれば全く愚かな小学生がそこにいたのだと痛感する。しかし今考えてみても当時の自分の考えで自分自身が悪いのだ、とその幼さで悟ることもできず、その時はそのままで何も考えず成長してしまったのだから後悔先に立たずだと言いたいがもう少し大きな視野で『今』を考えてみれば自分が死んだ後にこの人生のこの時期を振り返り50歳前の自分に対し後悔しないだろうかとさえ感じる、しかしそうならないようにも今懸命に自分を顧みて、自問し、極力反省しなければならないと感じる次第だ。

この問題のある私のクラスの生徒は身重の妻も抱え、妊婦の腰を揉むにはどうしたらいいのか?今日遅れたのは風邪をひいた子供に鍼を刺していたからなどと、こちらが親身になってしまうようなことを言ってくるのだが、なにか常識的な違いか価値観の違いが裏にあるのでは、と認識したい気も起きてきてしまう。しかし他のアメリカ人先生のようにあいつは『ダメ』だなどと聞いてしまえば同情もできないものだろう。要するに結局昔の私にも誰も同情はできないということに繋がるのだ。実際鍵っ子だった私は小学校を無断欠席しおふくろの灰皿の中にある残ったシケモクに100円ライターチルチルミチルで火を点け布団の中でそれをこっそり吸い『ドクタースランプあられちゃん』をケラケラ笑いながら読んでいた自分なのだから、俺は正真正銘の不良小学生だった。

そんなむかし不良小学生だった自分を受け入れてくれるのは、真面目で怖がりのために長い間結婚できなかったクリスチャンの白人の妻と、ここアメリカというクレイジーな国しかないのか?と言うことにしてこの話を終わる。

デモ行進後に何かが変わる国。アメリカ

デモ行進やデモを見ると私はその国が『民主国家』だと痛感する。ヨーロッパにしろ、ここアメリカでも人々に最高に不満が溜まりこれは大々的に訴えない限り何も動かないぞ、と感じると皆で団結しデモを行う。今回のデンバー市内でのデモは公立学校の教職員の賃金改正のデモである。私の大学での賃金を含めコロラド州は教職員の賃金がアメリカ国内の州で比べてもあり得ないほど安く、一度教員になったものの数年にわたっても賃金が変わらないので仕事をあきらめてコストコなどに再就職する元先生も多いのは確かである。

溜まりにたまった不満と訴えを認めてもらおうと今月はデンバーにある大通りで大デモ行進を行なった。ローカルニュース各局は朝からこのニュースを取り上げて、先生たちへのインタビューを流した。先生たちが訴える先はデンバー市である。市が教職員の賃金を決めているのだ。この写真からも分かるように白い先頭の車は警察車両でその後ろにテレビ局が状況を撮影している。こうして見る限り警察はデモを取り締まる側ではなく、デモの参加者をガードしているのが容易に理解できる。考えてみれば市の警察官も教員と同じ公務員で言わば同じ穴のムジナである。歩いているデモの先頭のその先では警察官がホームレスや行進の邪魔になるような余計なものを懸命に排除している。後ろのテレビ局は当然この行進をテレビでなるべく大きく見せようと必死である。この写真を撮った現場も行き交う他の車はクラクションを鳴らし、通りは騒然としているのだがクラクションは応援しているぞ!という意味である。バスの運転手もタクシーの運転手も仕事をしている車が目立ってけたたましく音を鳴らす。

アメリカのデモ(暴動ではなく)をテレビで見るといつも感じるのは、そのあとに何かが変わるだろうという確信である。参加者は単なるウップン晴らしや、どうせ訴えを聞いてくれないだろうという消極的な動機ではなく、はっきりとした問題がそこにありそれに対し何かが変わることを切実に願いデモを行う。そこにみじんの諦めムードも品のないヤケクソも存在しない。実際このデモの後には市が賃金アップを確約しデモは成功を収めた。しかし客観的に見ればデモを行うことを前提とし賃金の改定が行われたような、いわゆる出来レースのような雰囲気も少しは感じるのだが結果オーライであればそう感じてしまうものだろう。しかし世界の国々では信じられないようなデモの結果もあり、社会主義国ではデモの首謀者を逮捕し締めあげることを行なったり、殺害するまで追跡されたりと死の覚悟をしてデモを行う国すらある。要するにデモに対しどれだけ寛容かでその国の民主主義度が容易にわかってしまうのも事実だ。

大げさに言えばフランス革命にしろ失敗に終わった80年代の中国の天安門事件(中国では事件化されてしまっている)にしても民衆が訴えなければ国は、要するに国を司る連中を変えることはできない。日本でも時々デモがあるがその後に政府や行政に何かの変化がみられるだろうか?実際何の変化もなければこれは大きな問題であろうとさえ感じる。実際北方領土問題などは国民がロシア大使館前等で大きなデモを見せつけるぐらいのことをするべきだったのだろう。しかしこの問題は逆にロシア国内で北方領土返還反対のデモが起きて、これも理由に返還交渉は無理だと言わんとするロシア政府の雰囲気になってしまった。一方慰安婦問題もやはり大きなデモと大使館前での抗議を見せつけるぐらいの行動を起こさなければ、韓国が北朝鮮化している現時点で問題は今後も解決しないだろうとアメリカの小さなデモを見て感じた次第だ。

日本でデモなどの民主活動が少ないのも昔からの封建社会が影響している。それは『御上(おかみ)に逆らうなんてとんでもない、そんなことをすれば自分を含め家族全員危険な後々厄介な目に遭うだろう』と思わせるような絶対的な強さが日本の中央集権にあるように見られるが、実際にそのような封建制度が今もなお、強く色濃く残っているのはその中の国家権力と言われる警察組織である。絶対的な立場を使ってくる警察署内での刑事の取り調べには気を付けるように、とデモの話からとんでもない結果となってしまった、失礼。筆者

ご近所さん『ペギー』の死

『だから言ったじゃない、今はガンが見えないって医者に診断されても無理しちゃいけないって』。彼女に私がそう言おうと思っていた矢先だった。少し調子が良くなればマウンテンバイクで出かけ、庭の世話をし、他に新しい畑を作ってニワトリの世話までしていた。彼女はその自分の家と他に数軒の家も所持し大家暮らしを満喫していた、いわば身の丈に合ったこじんまりした資産家だった。年は50代そこそこか?独身だったが他に猫と犬を飼っていた。口癖と言えば『だから男っていうのは当てにならないのよ』、だった。彼女にはつい最近まで口数の少ない極めておとなしい古いスェーデンの車サーブを持っていた恋人がいたようだが、サーブ社が無くなったと同時にその男の姿も見えなくなった。とにかくペギーは昨日旅立った。

彼女がガンになったのは二年前だったろうか、初期の乳がんでだったが実は昔から彼女は毎日値段の高いマグロの寿司を買って食べていたらしい、それも毎日毎日明けても暮れても。実は彼女は私のところのカスタマーで彼女は自分がガンに侵されたのはおそらく日本の原発事故による放射能のついたマグロが原因と決めつけていたが、アメリカのマグロは大西洋でも獲れるしアメリカの漁船がわざわざ三陸沖まで操業に来るわけもない。そんな被害妄想はいいとしても実際アメリカ中西部には扁桃腺障害と乳がんが多い、これは異常ともいえる多さなのだが、その原因が実際は70年代のネバダ州の核実験の影響でユタ、アリゾナ、ニューメキシコに雲となって風となってまき散らされたことを多くの住民は知らないで生きている。私もその話をしたのだが彼女は半信半疑だったような気がする。これは事実だ。

とにかくアメリカにはこのような早すぎる死が多すぎる。多くの若いアメリカ人が急にガンになり旅立ってしまう、これは時として衝撃的である。年老いた人間が周りに覚られながら無くなるのは心の準備もできるというものだ。しかし彼女は早かったがその彼女のこの世での使命は終了したと言いたい。人はこの世界しか認めなければこの世での成功を大いに望み可能な限りの長生きをまた望むだろう。そかしこの世に来た意味や今後の死後の世界観を持つか持たないかによってこの世での生き方も多少変わるかもしれない。とにかくペギーは結婚しなかった、まだ若かった、不労所得だけで生きていた、が、それでも、最低でもこの世界の息を吸ってこの世で過ごすという小さいけれど重要な生身の人間の任務を終えたのだ、彼女も周りも気づいていないだろうが何だったかわからないが、おそらくこの世界での任務は終了したのだろう。

彼女の少しハスキーな声もしぐさも日焼けした顔もまだ少しも忘れてはいない、実に悲しいことだ。時々私の裏庭に来ていたネコももう来ないだろうし、時々ニワトリの卵があるから売るよと言いこのオフィスまで来たのだがそれももうないだろう。道であっても彼女の車の白いホンダCR-Vの中から私に手を振ることも無いだろう。あぁ、なんと悲しいことだろうか。この近所で皆に声をかけて彼女の小さな庭でパーティーをしたのもこの近所では彼女だけだった。彼女の小さい雑種犬ロージーもそこにいたしネコも逃げないでその庭に一緒にいたのを憶えている。なんと可愛いペットたちだろうかと感じたものだった、しかしそのペットたちの母親が家にはもういないのだ。そのような気さくで動物を世話することが好きな性格も多少は次の世界に行くためのポイントに加算されたのだろう。言葉では表現できないが、ただもうペギーと話ができないということが私には辛すぎる。辛すぎるのだ。

私はペギーから何を学んだだろうか。おそらくそれは『世間体なんて気にせず気さくに生きればいいんじゃない』、という気がする。しかし数軒の家を持ち不労所得で独身女性が悠々と生きられることが許される国、それがアメリカなのである。しかしながら彼女には当然悩みもあっただろうし当然男に関する苦労も尽きなかったのだろう。しかしそれは彼女の独立した気丈な性格があだとなったのかも知れない。こんなことなら彼女ともっと色々話すべきだったと感じる。

この話を天国のペギーに捧げる。

2019年始動

2019年も始まり既にしばらく過ぎた。1月は行く、2月は逃げる、3月は去るといい一年のうちで一番早く感じる時期であるが今年も私なりの話をしたいところである。暮らしが忙しくまったりする時間が無い。申し訳ない次第だ。筆者

2018年も終わる、所感。

日本にいた頃のことも、日本で働いていた頃も遠い昔になってしまった。実際日本に帰ると自分は長い間離れていて、しかも自分の考え方すら若干変わってしまったのだろうと痛切することもある、それは人と話すときだろうか。日本とアメリカを比べても仕方がないのは分かっている元が違うのだから。しかし強いて言えば日本は細かく融通が利かない、昔通りの今までやってきた型にはめないとならない。一方でこの国はいい加減で大胆。これだけ言えば十分だろう。

細かくて融通が利かないということは自分自身も細かく対応し、おとなしくしていれば意外と居心地は良いものだ。しかし、いい加減で大胆というのは自分も大胆でいい加減になれば必ず『墓穴』を掘ることになる。そう考えればアメリカ人は大統領をはじめかなりの数で墓穴を掘っている人があまりにも多く、この国の将来が不安でならない。しかしアメリカ人は墓穴を掘っても鈍感なためにそうとは感じず、彼、彼女らは常に自分に肯定的で実にうらやましい生き方だ。たとえを挙げるならば日本の首相が現在のアメリカの大統領のように国民に叩かれ否定されたならば、日本では何らかの理由で既に退任しているだろう。しかしそこはアメリカ人に見習うべきこともある、それは『あまり考えずに図太く進む』という点だろう。

ここだけの話、今年と昨年を比べても何も変わりがなく、自分自身何も発展も成長もしていないのが分かる、というよりもこの世の仕組みである一年一年で区切るというのはあまりにも不自然で、どうしてこの世界は一年ごとに区切らなければならないのかと思う。一年で区切らずにいれば人のストレスもかなり減るだろう。ただ自分は何回この世の夏を過ごしたかという数え方に置き換えるだけでよしとすればいいのだが。。。

2018年もブログを通じお付き合いして頂き感謝の念で一杯である。 飾アメ筆者

大麻入りエナジードリンクは効くか?

勉強、勉強、仕事、仕事。飯食って勉強の日々が続いている私だが、既に自分の余暇のことや趣味や、時々息抜きしてどこかに行こうなどという気持ちもなくなってしまい、自分はこのような感じで人生の最後まで終わりのない勉強と定年のない仕事を通じて死ぬのだろうと最近ある意味諦めている。正直なことをいえば日本にいた頃のほうが楽しくたのしみもそれなりにあったものだ。中年の入り口といわれる40代も終盤になり人生とはこれほどまでに変わるものだのだろうかとさえ感じる。

自宅にいれば気が散ってしまうために最近では図書館で大学の勉強をしている、大学の図書館と言いたいところであるが通信制であるためそのような場所は存在しないのが残念だ。私が住んでいるレイクウッド市にはいくつかの図書館があるが、私に行くところは毎回決まっていて勉強ブースも大体決めている。当然日本のような静かな図書館ではないので耳栓が必需品である。この図書館の近くには小さなガソリンスタンドがありネパール人の若い夫婦が経営している。女性の方にどこから来たの?と聞けば彼女は初めインドだと言ったのだが、私が日本人だというと実はネパール人だと答えた。アメリカではネパールよりもインドのほうが認知度が高いのかと感じたが、ネパールなどのコアで辺鄙なアジアはアメリカ人にとっては秘境だろうし聞いたことさえない国だろう、しかし日本人にとって悪いイメージはないし場所もおおよそ見当がつくのだが。

私はたまたま自分のハーブティーのお湯だけもらいに図書館から散歩がてらに寒いなか歩いて行ったのだが(アメリカではスタンドで無料で熱湯がもらえる)、偶然にもその小さなガソリンスタンド店で見慣れない缶飲料を見つけてしまった。その名も『ヘンプエナジードリンク』ヘンプとは『麻』の意味である。いかにもマリファナと言わないところがミソであるが、その女店員によればかなり『効く』とのことだ。そしてレジの横には腰の痛みに聞く大麻入りの飴が売っている。彼女はこれもかなり効くというが幸い私の腰は悪くない。コロラドもマリファナ解禁から数年が過ぎ本当にいろんなものが出回っている。私自身は当然『やらない』がこれを使うには知恵が要るし弱い人間であれば簡単に気持ちがよくなり疲れを感じなくなるので速攻で中毒になる。一番いい方法としては終末医療としての完全な医薬品(バイアグラのような)にするべきだろう。とにかく私はたかが一本のエナジードリンクに3ドル(315円)ほど出して早速試してみることにした。

ここだけの話、私はかなりの依存性体質で色んなことに中毒になりやすい人間である。このような危険な体質と知っていながらこのような飲み物を飲むのは時として危ないが、勉強に集中するため買うことを決意した。早速図書館に戻り椅子に座ると『プシュ!』と周りに遠慮しながら缶を開ける。すると今までに嗅いだことのない匂いがし、そっと口に運べはそれはまるで梅干しとペパーミントの香りを足した感じだ。考えてみればアメリカに来てからの間に色んなエナジードリンク系(以下エナドリ)を試し、パニックになったこともあった。指先の小刻みな震えや飲んだ後すぐに気が遠くなるような経験も含めアメリカには本当に多くの危険なドリンクがある。一番危険だったのは昼間一人でユタからコロラドに帰る途中、ハイウェー運転中にロックスターというエナドリを飲みすぎて運転中気を失いかけ事故に遭いそうになったことだろうか。そのような経験からこの大麻入りもかなり危険かなと感じた次第だ。そして一口、一口と喉に運び10分以内で飲み干してしまった。たかが350ミリ缶である、そうして時間が過ぎていった。

0分 飲んだ直後、当然変化なし。

15分経過 まだ変化なし。

25分経過 まだまだ変化なし

30分経過 え、もうそんなに過ぎたか?しかし変化なし。

1時間経過 あれ、おかしいな、でも変化なし。

2時間経過 金曜日5時の図書館閉館時間 おいおい、今だ何の変化もなし。

結局車に乗りどっと勉強疲れだけが出る。おーい、結局普段と変わりない。

この大いに期待した大麻入りエナドリは何の効果もなく、寒い寒い真っ赤なの夕焼けの下、私は車を飛ばし帰路に就いた。

人は常に反省が足りないのか。

自虐ではないのだが、今になって過去の自分を振り返れば、過去にもっと自分を顧みて反省していれば今違う自分があるようにも感じる。誰もがそう思うとは思わないが人間はあまりにも未熟な生き物だと痛切する。
ひとしきり反省し自分を顧みれば私は本来ここにいるはずではない、ここでこうして暮らしている筈ではないと思うかもしれないだろう。しかしその時はすでに時は遅しだ。あの時こうしていればこの仕事やこの家族とは全く違う自分のがあるかもしれなかった、と思うかもしれないが、時すでに遅しだろう。実際今でさえ、これでいいのかと急に不安になる自分がいるが。

最近、拉致監禁されていた日本人記者が解放されたというニュースを見た。彼は中東で約三年拉致監禁されていたというが、助かって良かったと感じるが殺されなかったのは彼はまだ人生の中で何か果たすべき使命が神から与えているのだろうと感じる。それはまた現地に赴くということなどではなく、彼の人生でやらなければならない事柄があるのだろう。しかしマスコミにおける『大人のいじめ』を見るのは耐えかねるものだ、謝れだの、責任はどこにあるなど、個人主義がない国ではすべての人間がまるで同じ檻の中で暮らしているように見える。考えてみれば全ての人間は自由に暮らしているようでも、ある意味拉致監禁されている。拉致は無いとしても時間、仕事、金銭の支払い。すべての面において現代社会はある意味『ゆるい監禁』である(結婚もゆるい拉致か)。私ですら初めてコロラドに来たときは車がなければ外出できない山のふもとで暮らしていた。これはゆるいどころではなく完全な妻による監禁だろうと今になって多少感じる。

キリスト教には反省という言葉以外に『悔い改め』という言葉がある。これは罪を犯したときに罪を償うという意味である(当然刑法にかかわるようなことは出頭しなければならない)。いわば小さな罪で誰かを傷つけたりした場合だろう。しかしそれには4つの手順がある。それはまず自分の罪を認める、許しを求める(告白)、罪を正す、二度と犯さない。わかりやすく無銭飲食で言えば、まず食い逃げを悪かったと心から思い認める。店主に正直に話し謝罪し許しを求める、無銭飲食代を払う、今後二度ともう食い逃げはしない。

なんだか話が妙な方向へいく感じがするのでこれで終わりとする。申し訳ない。

10月の所感

10月の最終日はハロウィンという催事で終わる。日本ではこの本来の意味を知らないコスプレ集団と西洋のお化けの習慣がミックスし問題を起こしているようだが特に日本には昔から続く多くの習慣があるというのに、今さら外国の風習まで取り入れる必要はないと強く感じる。それよりも地方に伝わる何百年も続いている文化や風習を絶やさずに先祖に残すべきだろうと、老いた人間が言うようなことを言ってしまった。

10月もあと数分で終わりだが、8月の頃と比べても何の変化もなく、ただただ勉強と仕事だけだろうか、そういえば最近近くにあるサウナ風呂へ初めて行った。20ドル(約2200円)のこの辺りでは昔からあるサウナのようだがレンガ造りの建物の中は迷路のようで広く食堂もありで、なかなか良い雰囲気を出している。詳しい話をしたいのだが写真を撮れないのが残念だ。これからは勉強、仕事、時々サウナ。という具合の暮らしをしていきたいものだ。このサウナはアメリカ人よりもロシア人や東欧人が圧倒的に多く集まる異世界である。まぁ自分も異星人のような存在だからうまく肌が合っていいのかも知れない。熱い熱いサウナの中にいる時も皆親切で冷えた水の入った桶をこのアジア系の私に持ってきてくれたり、目が合えば必ず軽く頭を前後に振り軽く会釈のようなしぐさをお互いするものだ。ここには人種の差も収入の差も肩書の差も何もない。当然このような男だけの部屋になれば『カップル』で来る組合員(とりあえず組合員と言おう、読者よ悟れ)もいるのだが彼らは一般的に控えめで行儀が良いので私は好きである。(好きであるといっても私も実は組合員であるという意味ではない、読者よ悟れ)。しかし大柄のロシア人連中はうるさく大笑いしお互い樫の木の枝(ヴぇニーク)で叩き合っている、それでいて私を見れば『あれーこれ日本人じゃないのか?』とロシア語で言っているのだがそれくらいの言葉は理解できる、理解できるんだょ。彼らはサウナから出れば脱衣場では備え付けの大きなバックギャモン(ゲーム)で楽しんでいる。私から見ればまるで彼らは自分の家でくつろいでいるかのようであり、ここでだけ彼らも自分の羽を伸ばせるのかもしれない。実は私自身『大』が付くほどのサウナ好きで日本でスーパー銭湯に行っても湯舟には浸からず、サウナと水風呂を行ったり来たりして半日過ごすようなこともするほどサウナが好きである。しかし20ドルというのは今の自分には手軽な価格ではない。せめて月一回行ければ良いほうだろう。

考えてみればアメリカには『サウナ文化』というものがなく、この寒いコロラドでも自宅にサウナなど聞いたことがない。しかしジャグジー(生温かい泡風呂)の人気はあるのだがサンダルのままで浸かり、実に不愉快、不衛生な代物である。私は誰かに家にジャグジーがあるから入っていかないか?と誘われても、丁重に断りその家の菌が移らないように留意している。ロシアではサウナに座る時でさえ、自分用の竹のスノコを置いて股間にばい菌が移らないように工夫している。また頭には厚手のフエルトの帽子をかぶり汗が顔に行くことを防いでいる、それでいて時々ヴェニークで体を叩いて刺激する。一般的にサウナで股間に菌を移された時の不快感さは文章にはできない、要するにいんきんたむし(股部白癬)であるが。

仕事がないときは一日15時間ほど勉強しているのだが、それでも時間が足りず苦労している。大学には障がい者用の特別配慮を申請したのだがそれは基本中間と最終テスト時間の延長ということだけである。しかしながらそのテスト時間の延長は実は私だけではなく何とクラス全員というおふざけぶりであり、通常1時間半のインターネットを使ったテスト時間が7時間という配慮ぶりであるが、私にとって時間が長ければ良いということではない、なぜなら学んだことを後になって思い出せない障害なのだから。障がい者申請時にできればオープンブック形式、要するに教科書を見ながらテストをすることをお願いしたのだが、それは『ありえない』という回答を大学側から受け取った、今考えれば笑ってしまうがそれも当然だろう。それならいっそのことカンニングでもすればいいとも思うが、そこはアメリカ。カンニングができないように動画と音声の録音を第三者機関を使いテスト行っている。受験者の目線を確認している。これはグーグルのエクステンションでhttps://proctorio.com/和名プロクトリオとでもいうべきこのエクステンションはなかなかよくできている。しかし抜け道はあるし、カンニングしようと思えば何でもできるだろうが、そんな気持ちさえ起らない。ちなみにアメリカ英語では試験のことをテストとは言わずイグザムExamと言う。この州立大学よりも難しいといわれているBYUという大学はなかなかハイソでインテリが多いのだが、それもクリスチャン大学の特色の一つと言うべきだろうか。

それでは読者の皆様、また11月にお会いしましょう。筆者

大学院での雇用が決まった自分への褒美

人生いろいろあるものだ。とにかくこの忙しい時にデンバーにある中医大学(修士課程)の『推拿2』クラスを受け持つことになったのだが、実はこの話は以前からそれなりに打診はあった。考えてみれば要するにこんなマニアックな伝統医学を教える人間が中西部には居ないのだ。私自身実際教えることに苦は無いのだが本業のビジネスも勉強も休んではいられない、しかしながらこれはたった週一回であるため最初は様子見であると言いたいところだが、おそらく将来的には漢方や鍼灸のツボのクラスもどうだ?と言われることは十分承知している、しかしこれ以上の勤務は基本的に無理と考えている。とにかく今のところは中国医学を勉強している修士課程のアメリカ人生徒に推拿を教えるだけである。しかし給与は信じられないほど安いのでここへ書く気にもならない、そのため人にはボランティアだと言うことにしている。まぁ一回の授業の報酬はちょっといいチーズバーガーとポテト、最後にバニラシェークで腹を満たせばそれで消費できてしまうと言えばいいだろうか。しかし整形外科手術や精神薬を避けられるこの推拿療法をアメリカで広めたいという気持ちの方が報酬よりも当然上だ。非常勤講師の勤務が決まったという言葉をタイトルへ持ってこようと考えたのだが、アメリカの教育現場では日本の非常勤講師のような年契約の仕事は特殊な場合を除いてないのが現実だ。よって問題を起こさないか自分から辞めない限り居れることになる。

小さな仕事でも普通このような状況では何か祝い事でもしたい気持ちだが、女房は授業初日の夜に『どうだった?、教えるの好き?』という質問だけで終わり、私も『うーん、どうかな、受け入れてはくれているね。』という答えだけで今回の仕事の話は全てが終了した。アメリカ女は日本人女性のように繊細なニュアンスは無いし質問攻めにもしない、すべてがイージーでラフである。ここではこんな生き方が全てだ。しかし自分的には納得せず、自分的には特別な日にしか食べない好きなメーカーのアイスクリームでも食べるか?という自分との対話で自分的には納得したのだが、実は今現在女房は砂糖を避けて暮らしている。ということは彼女が好きなものを私が食べていれば『どうしたの、それ!?』ということになる。一回ぐらいそう聞いて終わるならいいのだが、この女は食べ物への執着が人一倍であるため結局私は隠しながら食べることになる。という訳で今回も大きなアイスクリームを昼間に食べている。

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私はこのブルーバニーという会社のモノしか口にしない、なぜなら味に嫌味も無く無駄がないからだ、また私自身バニラアイスクリーム以外は食べない。おまけにこの味はその昔、暑い夏にたった数回だけ姉が作った手作りアイスの味に似ている。時にヒステリックで私にとっては服従するしかない年の離れた姉であった。こうやって今考えれば瞳が青く肌の白い女性を好きになるのも難しくない幼い頃の環境であったが姉という存在は居ないよりはマシであったろうか。しかしその思い出も今ではかなり薄らいでいる。写真のアイスで600円ほど、約1.4リットルはある。徳用アイスがこんなに安いのでは肥満体国になるのは当然だろう。しかし実際これは徳用アイスでも何でもなくこれが標準サイズでこれ以外の大きさでは売られていない。現実をいえばアメリカは広いため田舎の方では週一回しか買い物に行けず、全ての加工食品の大きさがデカいのである、しかしながらアメリカ人は食べることを途中で止められない弱い人達であるのでこの大きなアイスでも早ければ一日で平らげてしまうのだ。

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冷凍庫の奥の冷凍ミートボールの袋で隠しながら、食べられるときに備えて待機している。

 

コロラドのことを全く考えていないお菓子

私自身コロラド州の高地になれるまでに5年かかった。頭痛と吐き気、過度な運動によるめまい、異常なほどの喉の渇き、乾燥肌。
ここ1600mの高さでは海抜20m以内でしか暮らした経験のない筆者には過酷なところだ。しかしそれも昔の話しで今では慣れてしまった、いやそう信じたいものだ。
コロラドには多くの食べ物が流通されそれを買うことになるが、残念ながらまだまだコロラドの高地のことを考えずに包装されたものがある。例えばこのコーンスナックの袋だが、気圧のせいでパンパンである。店に並ぶ数もいっぱいまで膨らんだ袋のせいで通常10個入る棚が5個ほどしか置かれていない。チップスやありとあらゆるスナック菓子にその傾向がある。

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考えてみれば私の頭の中もこのような状況だったのだろうと考えれば少し恐怖すら感じるが、念を押しておくとすれば、日本や海外での中途半端な歯科治療でコロラドに来たならば気圧の関係で歯が痛くなりクラウンをはじめ被せモノは全て治療しなくてはならない、歯根に問題があればそこから腫れてくるのだ。これは非常にコストのかかる歯科治療でクラウン(銀歯)は実費で5-7万円は覚悟しておくべきだろう。
デンバーのちょっと中西部の都会に来るぐらいなら、シアトルやボストンなどの他の州の街に行くべきだろう。しかしここは人が良く水がうまい。何を尊重するかはあなた次第だろう。

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このスナック菓子はコーンパフという種類で代表的なものに”Pirate’s Booty”などがある。チートスもこの類だが、アメリカからトウモロコシを取れば何が残るだろうとも最近感じる。

 

Pirate's Booty Snack Puffs, Aged White Cheddar, 4 Ounce

Pirate’s Booty ©amazon

これはいける、単なるりんごジュース。

 

ここでの楽しみと言えば、食うことと飲むことぐらいしかない。いやそれで十分だろう。

男の人生は飲んで食って金を稼げばそれで充分。それ以上求めるな、それ以下になるな。

この濁ったりんごジュースは久しぶりのヒットだ。実にうまい2ドル44セントだ。

『アップルツリー』はリンゴの製品を発売している会社だがその中でもアップルソース(すりおろしりんご)が有名だ。ジュースの原料ハニークリスプ種は果実で食べるときは当たりはずれがあり、時季もズレると味は良くない、しかしジュースであればかなりいける。アメリカの果物はうまい、地質学者が言うにはそれは世界で一番新しく肥えた土地だからだそうだ。

左上キャッチフレーズ。

『100%天然ジュース、添加物なし、濃縮還元なし、シンプルで正直な単なるジュース』。

アメリカにお越しの際はお試しあれ!

中年男でもダチは必要。か?

正直アメリカの話が減ってきたのは認める。アメリカ中西部のコロラド州なんてところは特に凶悪な殺人ニュース以外は無いし、日本と比べての面白いか珍しい話ぐらいしかないのが現実だが、10年過ぎると日本のことも忘れてきてしまい何が新鮮で面白い話かと探すほどになる。

私は日本に帰った時、成田経由での東京では従兄か留学時代のダチとラーメンを食らいに行き、関空経由での大阪ではこれまた従兄と夜な夜なラーメンを食らいに行く。郷里に帰った時も高校時代のダチがいる。このオヤジとはファストフードに行ったり小さな悩みを聞いたり聞いてもらったりする。しかしながら男が成人し会社勤めになると、新しいダチなんて言うものは極端に減るか、つくらなくなる。余談だが御徒町の会社にいた頃も仕事が終われば同じフロアーで成田市から通っていた事務員の小林さんと上野の甘味処で餡蜜を食べたり上司の愚痴を聞いたものだった、美人の彼女は会社の中で誰が『安全パイ』で誰がそうでないと、私にしきりに話していたが私はその意味すら理解できない若い男だったのを思えている、結局自分は愚痴聞き役だったのだろう、あの頃自分は本当にまだ若かったのだ。

実際のところ残念ながら多くの男どもはその人間が自分にとって益があるか無いかでダチを選んだりダチになったり、または単なる知り合いから自分のダチにしようという考えが起きる。なんて悲しいことだろうか。損得で人を選ぶとかダチにするとかいう男は最低の部類に入るかもしれない。自分も若い頃は男女を含め溢れんばかりの飲み友達がいたものだが、今になれば多くのそのようなダチは単なる淋しさを紛らわすための道具であったような気もする。

幸いアメリカにはダチと言えるような友達はいない。アメリカで中年男二人で歩いていると70%はゲイカップルなのかと思われるがそれはこの国では当然だろう、それはいいとして。しかしそういうことではなく私にとって、妻の仕事の愚痴を聞いて、他愛もない妻の家族の話しなどでもう腹がいっぱいである。アメリカ女ひとりと言うものは約日本人3人のウエイトがある(要求が多い)。私自身としては時々現れる日本人カスタマーとの話だけで日本語での会話や精神的な満足感は十分得られる。

今これをお読みで友達が欲しいなんて考えている若い野郎は、そんなことではなくもっと自分を吟味し磨くべきだろうと感じる。要するに俺は本当はバカじゃないのかなぁ、だから誰も相手にしてくれないのかなってって深く考えるべきだってことょ。

いやいや、そうじゃなくて友達なんて要らねーってことに早く気づくべきだ。